Jacobin's Memo

インターネットテクノロジーをグローバルで展開している仕事です。

映画「槌音」を見て感じたこと。

 

今日は、3/10。震災一周年の1日前。しかし、普段の土曜日と同じ渋谷の雑踏や喧騒は何も変わらない。道一杯にはみだす若者集団はいつものままだ。そのより奥のラブホテルが林立する円山町の中に、オーディトリウム渋谷がある。今日は、一目散にここを目指していた。

 

上映開始時間が近づくにつれ、岩手県大槌町に縁(ゆかり)がありそうな方、年配の方々、ボランティアや支援活動で大槌町と繋りがあったと思われる方々がどんどん押し寄せて、ロビーが朝の通勤電車並みに混雑していた。「槌音」を見る為だ。大槌町出身の大久保愉伊(おおくぼゆい)監督の作品である。

 

席に着くと、普段の映画館とは全く異なる空気が流れており、皆、呼吸も意識的に静かにしているようだ。映画が始まると、スクリーン一面に震災直後の被害の光景、何故か喉がカラカラになる。震災の凄さなど何もわかっていない自分がここにいる。

 

監督のお父様の膨大な映像なのか、監督が奇跡的に町の外に持ち出していた。昔の楽しい大槌町の風景、祭り、お祝いの日、日常生活などが、荒廃した光景と交互に映されているシンクロニシティ。映像もさることながら、あたりまえの生活感のある音が全く無くなっていることが実感される。日常と非日常の間に感じる虚無感。なかなか感想は、言葉に出来ない。

 

 f:id:hiroxshi:20120310194951j:plain

 

上映後トークショーが開催された。トークゲストは、映画監督の黒田輝彦氏が招待されていた。映画に出てきそうな昔の職業映画人の様で、とても雰囲気がある方で面白かった。黒田監督は、篠田正浩監督の撮影や助手を務めていたが、30歳になり資金稼ぎで遠洋漁船に乗り、その映画を撮ったりしていた。映画は見てもらって報酬が得られるが、その場が得られない。その為、漁港を訪ね歩いて、行き着いたのが大槌町であったらしい。しかも、その話を聞いてくれたのが、音楽家である大久保監督のお父様だったのだ。それ以来、数十年交友を温めているとのこと。不思議な縁がある。

 

また、相米慎二(そうまいしんじ)監督は、大久保監督が尊敬する岩手県出身の映画監督。相米監督は、『翔んだカップル』やセリフ「カ・イ・カ・ン」で有名な『セーラー服と機関銃』など今でも新鮮な作風でハートウォーミングだと言える。相米監督は、残念ながら53歳で夭逝したのだが、遺品であるカチンコを黒田監督が持っていたのだ。まさかの、トークショー中にサプライズのプレゼントで、カチンコを大久保監督に託した。私も相米監督が好きなだけに、とても凄いことだ。大久保監督が大事そうに胸に抱えているのを見て、とても嬉しくなった。

 

大久保監督は、大槌町の現在を語った。「47箇所の仮設住宅で今までのコミュニティが分断されている。とても厳しい状態である。また大槌町以外の人にはどんどん風化してきている。その為、発信し続けなくてはならない。しかし、この映画は大槌町では上映しない。希望が得られないからだ。現在、撮影している映画を見てもらいたい。」

 

最後に大久保監督は、「大槌町は、縄文時代から人が住んでいた地域。何度も何度も今回のような津波があって大きな被害を受けていたと思われる。しかし、人が住み続ける。大槌には人を惹きつける何かがあるのではないか」とまとめた。何か溜飲が下がった気がした。大勢の観客もそうであったに違いない。いつまでも大きな拍手が鳴り止まなかった。

 

上映後、幸運にも大久保監督といろいろお話できた。町のホームーページ関連で大槌町にお邪魔させてもらっていること、暫定的にホームページを支え続けたエンジニア、現地に赴任して活躍するエンジニアなど素晴らしい人と出会えたことなど興奮気味にお話させて頂いたら、まるで町を代表する町長のようにとても感謝してくれた。気恥ずかしい。その為、私も駄文ながら、風化しないように、情報発信しようと感じた。

 

f:id:hiroxshi:20121021202548j:plain

 

「槌音」監督:大久保愉伊/日本/2011/日本語/23分 故郷の岩手県大槌町が被災、家族も被害に見舞われた監督が、津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像を編み込んで綴った詩。山形国際ドキュメンタリー映画祭2011正式上映作品/ヒロシマ平和映画祭2011正式上映作品